2022年11月は寝不足の人が多かったんじゃないでしょうか。私も例に漏れず、可能なかぎりカタールで行われている多くの試合を観戦しました。改めてサッカーは素晴らしいし、奥が深いスポーツですね。
私は諸事情でABEMAではなく地上波で観ることが多かったのですが、そうすると必然的にふだんよりもテレビがつけっぱなしになる時間が増えます(普段はマメに消しつつ、点いていても録画したドキュメンタリーやDAZNのスポーツ映像が映っていることが多い)。
地上波や衛星放送のニュースでは、W杯における日本代表の活躍だけでなく、昨今の紛争の状況も頻繁に流れてきます。ただでさえ刺激の強い映像に加え、凄惨な事実を報道するときにしか使われない語彙もたくさん登場するため、我が家の子どもたちにそれらをいちいち説明したり、「なんでこんなにひどいことをするの?」という根源的な問いに対して適切な受け答えができない自分に対する苛立ちを覚えることもありました(睡眠不足だしね…)
そんなときにふと書店で手にとったのが『ひとはなぜ戦争をするのか』という薄い文庫本です。全体で110ページほどしかなく、しかも半分は解説なので、比較的すぐに読み終えることができます。本は積むものだと思っている私にも、買ってすぐページをめくる勇気が湧くほどの薄さです。
国際連盟の打診に端を発した20世紀を代表する物理学者と心理学者の往復書簡〜
そんなものがあるとは知らず、手にとってそのまますぐにレジまで持っていってしまいました。薄いし。
私は大学の一般教養でフロイトの解説授業を取っていたことがあるのですが、当時ぜんぜんピンとこず(今もピンときていない)、でもダラダラと受講して結局微妙な成績で単位をとったような記憶があります。
つまりフロイトにあまりポジティブな印象は持っていない状態から読みはじめたわけですが、アインシュタインのある意味で無邪気な問いに対し、回りくどくも心理学的に真摯な姿勢で回答しているフロイトの筆致にはいろいろと感じ入るところがありました。(そして大学の授業と違って同意できる部分もたくさんありました)
本書のキーワードは「文化」なのですが、英語版の文章を読むかぎり
The cultural development of mankind (some, I know, prefer to call it civilization) has been in progress since immemorial antiquity.
とあり、「文化」を「文明」と類似する用語として採用しているので、原文(おそらくドイツ語で書かれたはず)では Kultur 、現代の語彙の「文化」よりももう少し「教養」や「知性」の意味も含んだ意図で使われていたのではないかと想像します。
文化、教養、そういった知的な営みが戦争を抑止すると、1932年のフロイトは(おそらくさまざまな批判を承知のうえで)言い切ったわけですが、翻って2022年現在のカタールで行われている国際的なスポーツの祭典を見ていると、爆弾ではなく一つのボールを争うという、ある意味で人類が編み出した戦争の文化的倒錯のような気がして、どうせならこの倒錯に酔い切って、決勝戦までバッチリ観つづけてやるぜという思いを新たにした次第です。(なんだか固い話になってしまった)