2022年の終わりに、銀行からお金を借りました。(ちょっとだけ)
特に直近で強い資金需要があるわけではなく、将来を見据えてという感じ。経験上、必要に迫られたときはたいてい時間的猶予がないので面倒なことになりやすい、だからそんなに需要がないうちから手許のキャッシュを増やしておいたほうが経営と精神衛生の双方に健全で、今後の意思決定が濁りにくいのではないかという判断です。
よく、「借金は信用の証」などと言われます。借金という一般にはネガティブな響きを持つ言葉に対して、「本当に信用がない人は借金ができないから、大きなお金を借りているということはあなたの信用が大きい証明」という趣旨のことを言いたい場面で使います。
これ自体はまあそうだなと思うのですが、一方で単純化しすぎて金利や景気が無視されているのは若干モヤモヤしますし、住宅ローンのように国策で信用が水増しされているケースもありますので、借りたお金のサイズで信用の大小を計るのは因果関係を混同しているようにも思えます。うーん、別にこの話はいいか。
そんなことを考えながらググっていたら、日銀のコラムにわかりやすい記述があるのを発見しました。少し引用します。
おかねの貸借は、いささか強引に品物の売買になぞらえて、「おかねの売買」とみることもできます。すなわち、例えば銀行から「今日から3ヶ月間おかねを借りる」という取引をした人は、銀行から今日おかねという「品物」を買って、その「代金」(銀行に返す元本の金額+銀行に支払う利息の金額)を3ヶ月後に支払う約束をした、とみることができるのです。取引相手が信用できない場合、品物(ここでは、銀行から借りるおかね)と代金(銀行に返す元本+利息)は時間差なしで交換されますが、この場合、品物の売り手(銀行)は買い手(借入れ人)を信用しており、「代金は後日払えばよい」と言ってくれているわけです。借金する人が信用できない場合、銀行は――駅の売店のように――商品(貸すおかね)と代金(返してもらうおかね+利息)のやりとりを同時にしようとするでしょう。しかし、それでは「借りたおかねをその場で返した」ことになってしまい、借りたことになりません。つまり、信用されない人は、品物の代金の後払いを許してもらえないのと同様、おかねも借りられないのです。
https://www.boj.or.jp/paym/outline/kg43.htm
売るものが品物であれおかねであれ、代金の支払いを待ってあげることは相手を「信用してあげる」ことです。銀行がおかねを貸すことを「与信」――「信用供与」のこと――と呼びますが、これには、返済することを信じてあげる、あるいは――品物の売買になぞらえれば――相手を信用して「代金」(元本+利息)の支払を待ってあげるという意味が込められている、と理解することができるでしょう。
https://www.boj.or.jp/paym/outline/kg43.htm
上記の引用した部分には(明確に書かれてはいないけれど)ある前提が共有されています。
「時間」です。
貸借が同時では借りたことにならない(借りたその場で返さないといけない)ので、つまりその支払いが待てることが「信用してあげる」ということだと書いてあります。
要するに、信用は使える時間の長さで表現できるということです。タイムイズマネー。ツケ払いは常連さんだけだし、住宅ローンに年齢上限があるのもわかります。
なんでこんなこと書いているのかというと、借金をすると自分の残り時間と否応なしに向き合わないといけないからです。個人なら100年以内に強制的にリセットされますけど、子や孫の世代はこれからも綿々とつづくし、法人は基本的にゴーイングコンサーンという前提を共有しているゲームです。私という一個人より尺が長いのです。
借金はお金が増えるので基本的にはうれしいイベントなのですが、企業経営と自分自身とをどこまで結びつけるべきなのかという面倒な例題を毎度突きつけてきます。ちゃんと考えろってことなんでしょう。
というわけで、2023年は旺盛な資金需要があることを願っています!