2019年3月〜 ぼくは言語化ができない

突然ですが、最近よく見かける「AI人材」という言葉、気になっています。

なんだろう、この言葉の端々からにじみ出るなんともいえない違和感。この違和感を言語化できるほど教養も語彙もないのがくやしいです。当たり前のように使われていますが、みんな言葉の定義を理解してるものなんでしょうか。

もしそうだったら自分だけ知らないのはまずいと思い、いちおうそれっぽい資料(PDF)も読んでみましたが、結局さっぱり分かりませんでした。謎だぜAI人材。

違和感で思い出しましたが、そういえば以前も「問題解決学習」とか「アクティブラーニング」という言葉に、同種の違和感を感じていました。この言葉自体は、これまでのいわゆる日本的な「解答の存在する課題に取り組む、知識詰め込み型の教育法」への反省から、文字どおり「正解のない課題を通して問題解決へのアプローチ方法を身につけること」に主眼を置いた教育方針で、コンセプト自体は素晴らしいと思います。どんどんやればいいさ。

一方で、「目の前にすでに答えや結果があり」、「それに対して理由や問いを設定する」ことが必要な場面もまた、人生ではよく出くわします。答えは分かっているのに、問題自体が不明であるような、たとえば「どうしてこうなった」という、アレです。

そんなときに求められるのは、遡及的に現状を理解し、問題解決の前提を整えることに長けた人、端的にいえば「適切な想像力がある人」ではないかと思います。課題は、それ自体が分かってしまえば、大抵のことは(仮に現実的には難しくても、理論的には)解決できるものです。少なくとも、創造性が必要な職場においては、課題解決できる人は、想像力とセットでこそ力を発揮しうるのではないでしょうか。

そして、課題解決の多くはAIが代替しはじめています。

我々が生業としている運用型広告でも、この種の場面にはよく遭遇します。結果だけが常に目の前に提示されていて、どうしてそうなったかは、素人にはわからない。だから、問いの設定ができる人が重宝されます。

問い自体を間違わなければ、あとはAI(プラットフォームの裏側はほぼ機械学習で動いています)が結果を出しやすいように、問題を整理し、キャンペーンやワークフローを設計し、入力すべきパラメータを決めることができます。

もし、↑こういうことができる人を「AI人材」と呼ぶのであれば、まあそうなのかなと思いますが、当の本人たちには自身が「AI人材」であるという自覚はおそらくないでしょう。

なので、やっぱり不思議な言葉だなと思います。

というわけで、3月は忙しい割に花粉症でずっと頭がボーッとしている月なので、こういったどうでもいいことに突っかかってしまうやさぐれた気分のまま過ぎていきました。ぜんぶ花粉のせいだ。

忙しい毎日には息抜きが必要だということで、3月は積読していた漫画を寝る前にちびちびと消化するというタスクを自らに課していたのですが、3月に読んだ中では、衿沢世衣子さんの『ベランダは難攻不落のラ・フランス』がよかったです。(買ったのは昨年ですが)

ベランダは難攻不落のラ・フランス (CUE COMICS)

衿沢世衣子さんといえば『ちづかマップ』が有名ですが、私はそれよりも彼女の描く「日常×SF」の作品が大好物で、なんだかんだで家の書棚の一角は著者の短編が占めています。