生産性へのためらい

「生産性」を上げることに対するうっすらとした後ろ暗さというか、ためらいのようなものがある。

以前は意識してなかったのに、今はだいぶ気になってしまった。なんならもう上げたくないとすら思っている。

別に日々テキパキ動いているわけではないのにだ。

仕事にかんしていえば、生産性は上げたほうがいいのは間違いない。生産性を上げて、もっと生産するのだ。

生産して生産して、効率化したり自動化できたりしたら、また別のものを生産する。そうして規模を大きくしていくのがビジネスというものだ。

最近はLLMが生産という営みのけっこうな部分を担ってくれるようになって、インターネットでは無限に生産がはじまっている。

無限につづく生産の螺旋を想像して、生産性を問うことへの意味が揺らぐのだろう。前提を疑がえば、ためらいも後ろ暗さも出てくるのが自然だ。

油断すると「こんなときに生産なんかしちゃって〜またまた〜」みたいなシニカルな気分にもなろう。

だから、広告運用のように厳密には何も生産しない仕事は、その気分への抵抗になりうる。

社是の make it accessible は生産と消費をつなぐだけの意味しか表さないが、だからこそつなぐ意義のある対象を求めるぞという意思表示でもある。

無限の生産だけならすでに達成されているので、人は消費すべき対象を探している。そのときに選ばれるものは、生産性とは逆のベクトルであることが多いんじゃないかなと思うのだ。