作家ではないけど「仕事場」について

中公文庫で『作家の仕事部屋』が復刊されると聞いて、本棚からずいぶんと昔に買った本を引っ張りだしてきました。

篠山紀信『定本 作家の仕事場』

「作家の仕事部屋」と「作家の仕事場」、名前は似ていますが違う本です。

↑の画像にある『定本 作家の仕事場』は、新潮社創立100周年の記念刊行のうちの一つで、篠山紀信の写真に作家の人物像を添えたひと連なりのページが134人分並んでいる豪奢な本です。上梓されたのは1996年の12月。今から27年前になります。

1996年12月の私は大学受験に向かって追込み中の高校三年生で、同時に受験勉強にはギリギリまで熱心ではなかった18歳でもありました。何かの雑誌でこの本が出るのを知って盛り上がり、「もし第一志望にパスしたら自分への合格祝いとして買おう」と自らに言い聞かせて、気の進まない問題集に無理やり向かったように記憶しています。12,000円という定価はアルバイトをしていない高校生にとってはそれくらいの値段だったのです。

その後、第一志望は無事に不合格だったので合格祝いもなくなり、脳内のいつか買うリストにメモだけしておいたまま忘れることとなります。(大学生はある意味人生で一番カネがない時期なので、仮に思い出しても買えなかったと思う)

社会人になってから数年経った頃、ふとこの本のことを思い出して日本の古本屋というサイトで探したところ、神保町のボヘミアンズギルドに在庫があることを発見し、喜び勇んで買いにいきました。数千円でも、自分で自由に使えるお金があるってのは幸せなことだなあと思います。

掲載されている作家は(当たり前ですが)2023年の今から眺めると皆若く、写真も光量が少なくて現代の感覚だとどれも少し薄暗くてちょうどいい感じ。

「仕事場」という言葉は、紙とペンが商売道具の作家にとっては「仕事部屋」とイコールです。なのでその「仕事場」は現代のオフィスとは違って壁に囲まれたプライベートな空間を想定しています。実際に、載っている写真は正しく「仕事部屋」ばかり。

2023年の今はノートパソコンやスマートフォンがあればどこでも「仕事場」になりうるけれど、この本の作家たちの「仕事部屋」を眺めていると、場がアウトプットを規定することについて自覚的になることができます。この部屋はやっぱりこの作家らしいなと写真を見ながら納得したり安心したりできるのは、物理的な空間それ自体が思考や指先の動きに影響を与えることを、我々自身が知っているからなのだと。

仮にこれからの未来、会社という装置が場の設計を物理から Slack やメタバースのような擬似的ネット空間に移したとして、それが長期的にみてアウトプットにどんな影響を与えるんでしょうか。久しぶりにページをめくりながらそんなことを考えてしまいました。