リテールメディアとしてのShopifyの可能性についての試論

2024年5月8日に発表された Shopify の第1四半期(1-3月)決算は、2億7,300万ドル(約420億円)の赤字となった。前年同期が 6,800万ドルの黒字だったこともあり、マーケットからも予想外という反応だったようだ。

減益の主な要因は「前年度に整理した物流事業の売却が響いた」とあるが、仮に今後も厳しい状況が続くとするとマーケットのプレッシャーも強まり、次の成長ストーリーを打ち出す必要に迫られるかもしれない。(マーケットの重圧では右往左往しないカルチャーの会社ではありますが)

一方で、Shopify の開発スピードの速さはEコマースに身を置く人なら誰でも知っている。Shopify Magic のような AI への投資なども含めて、Shopify が次のフェーズに向けた準備と並行して収益ポートフォリオの更新を考えていないわけがない。

外野の憶測でしかないが、次の収益の柱の一つは、おそらく広告になるのではないだろうか。非常に慎重に動いてはいるものの、2022年の Shopify Audiences にはじまり、2023年の Shop Campaigns のリリースと、ゆっくりと、しかし着実に広告分野に進出しようという動きは見えている。

というわけで、今回は Shopify というコマースプラットフォームの「広告プラットフォーム化の可能性」について妄想してみたい。

Shopify Audiences というリターゲティングリスト

まずは 広告関連プロダクトの先駆けである Shopify Audiences について。

2022年5月から開始されているこの機能は、端的にいえば Shopify のリターゲティングリストだ。マーチャントが Facebook や Instagram などの広告プラットフォーム上でターゲティングに利用できるオーディエンスを、Shopifyプラットフォーム上で作成できるソリューションのことを指す。

これが利用できるのは最上位プランの「Shopify Plus」のみで、この縛りは2年前の Shopify Audiences の開始以来変わっていない。

「Shopify Flow」や「複数通貨対応」など、2022年当時は Shopify Plus アカウントのみの限定機能が他にも多く存在したが、2024年の現在は下のグレードのプランでも利用可能になっているものが多い。

にもかかわらず、Shopify Audiences についてはこれまで頑なに最上位マーチャントのみにその利用を絞っていた。一握りの大規模アカウントしか使えなかったのだ。

ところが、この制限を一時的に取り払う措置がひっそりと発表されている。2024年4月から「Shopify Audiences Trial」と呼ばれる45日間のトライアルサービスが開始されている。

発表が地味すぎてあまり話題になっていない模様

このトライアルはカナダとアメリカのみの提供なので日本からは利用できないが、この「利用できるマーチャントの裾野を広げていこう」とする試みを見るかぎり、2年前と比べて Shopify が広告プラットフォームとの接続について前向きになっていると考えるのは自然だろう。

ちなみに、このトライアルの要件は以下になっている。

  • Shopifyペイメントを使用している
  • アメリカまたはカナダに拠点を置いている
  • Shopify Plus 以外の Shopify のプランに加入している
  • Metaアカウントを持っている

この要件のうち、最後の「Meta アカウントを持っている」というのが気になるポイントだ。

Shopify Audiences Trial では、Audiences のアプリをインストールして、管理画面から Metaアカウントに接続すると、アプリ側で自動的に生成されたリターゲティング用のオーディエンスリストが、Meta の広告キャンペーンに同期的にエクスポートされるという仕組みになっている。

共有されたオーディエンスリストは、Facebook広告 や Instagram 広告でターゲットオーディエンスとして使用できる。

この一連の流れは既存の Shopify Audiences と同じだが、トライアルでは45日間という期限のほかに、もう一点違いがある。それは、トライアルでは配信先が Meta に限定されているのだ。(Shopify Audiences は本来、Google や Criteo、Pinterest といった多くの広告プラットフォームとも接続できる)

思い起こせば、2022年の Shopify Audiences 開始時も配信先は Facebook と Instagram に利用先が限定されていた。そのことを考えると、Shopify との接続では Meta が一歩リードしていると考えてよさそうだ。

Shop Campaigns という広告プログラム

つづいて 2023年に発表された Shop Campaigns についても見ていきたい。

もともと Shop Cash Offers という Shop アプリ内のポイントプログラム(米国内のみ)をブーストする目的で作られたキャンペーンだったが、これを他の広告プラットフォームへも展開できるプログラムとして拡張機能をつけたのが現在の Shop Campaigns になっている(らしい)。

Shop Campaigns は Shopify Audiences と同様に、最上位の Shopify Plusアカウントでないと利用できない。(あるいは Shopify Credit アカウントを持っている必要がある ※米国のみ)

それ以外にも、利用のためには以下にある多くのクライテリアを突破している必要がある。選ばれしマーチャントだけが使える、という雰囲気だ。

  • ストアがShopify Plusプランに加入しているか、有効なShopify Creditアカウントを保有している。
  • ストアの拠点がアメリカに置かれている。
  • ストアに、米ドルを受け付けるアメリカのShopifyペイメントアカウントがある。
  • ストアでShop Payが有効になっている。
  • ストアはShopのマーチャント資格要件を満たしている。
  • ストアに対するShopアプリのお客様評価が4.0以上である。

Shop Campaigns には2種類あり、Shopify の自社プロパティである Shop アプリ内でオファー広告を配信するオンサイトキャンペーンである「Ads on Shop(ショップへの広告)」と、上述したような他の広告プラットフォームに配信できる「Ads on other platforms(他のプラットフォームへの広告)」に分かれている。

Ads on Shop(ショップへの広告)について

「Ads on Shop(ショップへの広告)」は、Shop アプリ内での広告で Shop Cash のリワードを引き上げるオファー広告を展開するというもので、主に Shopアプリを通じて Shop pay での支払いを促すことができる。

これは以前紹介したチェース銀行のリテールメディアプログラムとほぼ同じスキームである。オファー広告は Shop Cash を消費する広告なので、Shop アプリ内で購入と確実に紐づけることができる。広告のアトリビューションが明確に捕捉できるのだ。

ちなみに、すでに当該ストアで購入履歴のあるユーザーは、そのストアの Shop Campaigns から配信されたオファーを利用できない。完全な新規向け施策として設計されている。

リターゲティングの負の側面である「すでに買ったのに表示される」「繰り返ししつこく表示される」をあらかじめ選択肢から消しているのだ。既存のリテンションはかならずしも広告の役割ではない、という Shopify の哲学を感じる設計である。

Ads on other platforms(他のプラットフォームへの広告)について

「Ads on other platforms(他のプラットフォームへの広告)」は、Shopify Audiences の接続先である Meta広告(Facebook, Instagram)へ広告対象を広げることができるというもの。こちらはサードパーティへのネットワーク広告となる。

マーチャントは顧客獲得の目標と 1日あたりの予算を設定するだけで、あとは Shopify 側で自動で広告を配信する。接続先の Meta の Advantage+ と似たようなかたちで、自動入札になるようだ。

Shop Campaigns の外部配信先は、現時点では Facebook や Instagram のスポンサー付き商品リストに限定されている。ここでも Shopify Audiences のトライアルと同様、Meta が一歩リードしているようだ。

Shopify にとっては他のプラットフォームに展開しない理由がないので、今後は Google などにも拡張されるかもしれないが、(個人的な憶測にすぎないが)オファー広告というリワードモデルは外部オークションでの eCPM の計算がしにくいので、単なるリスト交換である Shopify Audiences と違い、展開には少し時間がかかるかもしれない。

広告プラットフォームとしてのShopifyの可能性

広告についていろいろ書いてきたが、大前提として Shopify はコマースプラットフォームである。

なので、広告はあくまで副次的なものであって、加盟するマーチャントの成長に資するものだと確信しないかぎり、Shopify が広告プロダクトを強く進めることはないと思う。そういったある種の矜持というか、マーチャントを最優先にするという信頼感が、Shopify という会社にはある。

一方で、冒頭で触れたように、直近の決算にはマーケットからプレッシャーを受けてしまう要素が出てきている。

Shopify Plus プランのみに限定していた Shopify Audiences をトライアル公開は、あくまで他のプランのマーチャントへのアップセル企画(45日後に広告を継続したいユーザーの Shopify Plus へのプランアップ)という建付けではあるものの、同時に Shop Campaigns への積極展開を予感させる。

仮に Shop Campaigns が広告によってマーチャントの成長に資するプログラムだとして、その成長の鍵になるのは Shopify Audiences という購買情報を含むファーストパーティデータだ。

当たり前だが、ECサイトは売れないと存続できない。コロナ以降の Eコマースブームが一服し、D2C の整理統合が進んでいる現在、Shopify のようなコマースプラットフォームも自らの存続のためにシステムの利便性だけでなく、マーチャントの集客や売上の支援も業務範囲に含めていく必要に迫られている。

ショッピングモールではないカートシステムは自らの販売チャネルを持たないので、集客は外部のプラットフォームに依存する。集客の成否が外部プラットフォームの特性に依存しないためにカート側ができることは、連携するオーディエンスの質を高めること以外にない。

折しもプライバシーイシューに伴う技術的なアップデートに広告プラットフォーム各社は腐心している。Shopify Audiences の裾野を広げていくことは、計測やターゲティングを通じてマーチャントへの支援の幅を広げていくという Shopify のミッションと一致するのだろう。何よりプランアップの明確な動機づけになるわけだし。

そして、Shop アプリをモール化せずに収益エンジンへと進化させるためには、Shop Cash の普及とそれを後押しする Shop Campaigns の利用促進が不可欠だろう。

Shop アプリの可能性は非常に大きいが、それをリテールメディアだと定義できるまでにはまだ少し時間がかかると思われる。それは Shopify が自らのポリシーをなるべく崩さずに慎重にことを進めている証左でもあるし、堅実なリテールメディアへと成長する Shopify の可能性でもあるのだ。