リディア・デイヴィスの短編集『ほとんど記憶のない女』に収録されている「二度めのチャンス」という一篇は、以下のセンテンスからはじまっている。
失敗から学べるものならそうしたいが、世の中には二度めがないことが多すぎる。じっさい、いちばん大切なことは二度ないことだから、二度めにうまくやることは不可能だ。
「二度めのチャンス」リディア・デイヴィス
出だしから真理すぎてつらいぜ。
我々の日々は同じように見えていて、残念ながらあらゆる物事はつねにその場その場の一回限りなので、希少性という意味ではどれも等価であるはず。だからこそ、二度めの不可能性、あるいはものごとの一回性を念頭に置いて生活したほうが合理的なんじゃないか。そんなことを思う。
一方で、いちいち一回性を意識していては生活に支障をきたしてしまう。朝ごはんの納豆をまぜるとき、「この納豆をまぜる作業は一回かぎり…」などと考えていては疲れる。脳みそが一回性のめんどくささをショートカットしてくれているからこそ、私たちはふつうに日々を送れているのである。
というわけで(?)、私は「再現性」という単語に懐疑的である。この言葉を使う人が我々の業界には多いので、自然と疑りぶかくなってしまった。周りには「素直がいちばん」とか言っているのに、つくづく因果な商売であります。