「ヘルプを読め」の正体

未経験で運用型広告の業務に就く人が一度は言われたことがある「ヘルプを読め」。

筆者はどちらかというと古参、かつ説明書を読むのが好きなタイプなのでこれまで言われる機会はなかったのだけど、言ったことは何度かある(と思う)。

アユダンテの寳さんが書いた a2i(アナリティクスアソシエーション)のコラム『わからないなか、わからないなりに、わかるものをつくろうとする構想力について』の冒頭は、以下のような書き出しではじまっている。(太字は筆者による)

このコラムを読んでいる方は、デジタルマーケティングに深く携わっている人が多いと想像する。そんなあなたなら、先輩から「ヘルプを読め」とアドバイスされたことが一度や二度あるのではないか。なかには、アドバイスをしている側の方もいるかもしれない。

プラットフォームから提供されるヘルプを「ちゃんと読むこと」。シンプルながら、このことはデジタルマーケティングの世界で仕事をする上で、きわめて重要である。

電化製品であれば、わざわざ取扱説明書を読まなくても普通に使う分には問題ないかもしれない。しかし、デジタルマーケティングの場合は違う。試しにロクにヘルプを読まずに適当に広告を出してみるとよい。箸にも棒にもかからないような結果しか出せないはずだ。

【コラム】わからないなか、わからないなりに、わかるものをつくろうとする構想力について

「ヘルプを読め」は、やはり頻出フレーズのようだ。

シンプルながら重要な指摘であるこの「ヘルプを読め」について、ここから少し掘り下げて考えてみたい。

「ヘルプを読め」の前提

「ヘルプを読め」という台詞が成立するには、以下の 2つの前提があると思う。

  1. ヘルプが必要なほど複雑か、範囲が広い(量が多い)
  2. ヘルプが充実している

1. ヘルプが必要なほど複雑か、範囲が広い

まず、仕組みが複雑でカバーすべき範囲が広いということが挙げられる。せめてヘルプを読んでからじゃないと説明しにくかったり、聞く側も理解がむずかしい概念が多い。

たとえば、「広告ランク」と「セカンドプライスオークション」の仕組みを知らない人に対して、「入札戦略が拡張クリックであれば平均クリック率と平均クリック単価は負の相関を描きやすい」という事象を説明するのはかなり難易度が高いだろう。

広告にかぎらず、ルールを知らない人が参加者の多いゲームで結果を出しつづけるのはむずかしい。なぜうまくいったのか、あるいはなぜうまくいかなかったのか、状況とメカニズムを把握したうえで刻一刻と変化する状況に対処していかないと、仮に一時的によい成果が出たとしても、継続的な改善はできないからだ。

前述の寳さんの「試しにロクにヘルプを読まずに適当に広告を出してみるとよい。箸にも棒にもかからないような結果しか出せないはずだ。」という一文は、そのことを端的に表している。

さらに言うと、そもそも成果を測ることすらできないだろう。現在の広告はトラッキングのためのタグの設置や管理画面側での計測設定、他のツールとの連携なしに開始することのほうが困難だ。オフラインも含むような大規模なキャンペーンであればメディアミックスモデリングのような統計的なアプローチも必要になってくる。

このような技術的・下支え的な業務はどうしても込み入った作業になりやすく、その割に毎日の作業ではないから憶えにくい。だから熟練者であっても都度ヘルプを参照することが多い。

計測はアイデアやバイブスで突破できるようなタイプの仕事ではなく、成果の定義を知り、環境や技術の制約を乗り越えて適切な設定を見つけていく作業である。それを知っていればこそ、人は「ヘルプを読め」と言うのかもしれない。

※なお、ここで時折「そんなことより顧客理解が大事」という人がいるが、そもそも顧客理解とタグの設定は比べるものではない。顧客を理解したからといってイベントトラッキングが設定できるわけではないのだ。そもそもマーケティングの仕事で顧客理解に努めるのは至極当たり前のことなので、わざわざ技術的な業務と二項対立で主張する必要はない。

2. ヘルプが充実している

「ヘルプを読め」が頻出フレーズたる背景には、言う側に「ヘルプが充実している」という前提もある。

言った本人も、過去にヘルプを読んで学んだことがあるからこそ、この台詞が出てくるはずだ。実際に Google 広告をはじめとした多くの運用型広告には詳細なヘルプが用意されているし、GA4 のような計測ツールもヘルプが充実していないとお手上げだ。(他の人は分からないけど筆者はそうです)

仕組みが複雑だからこそヘルプも膨大かつ詳細になっていく。時が経てば経つほどつくる方も読む方も大変になってくるが、読まないと先にはなかなか進むことはできない。

習熟のロードマップ

では、この「ヘルプを読め」は、業務に習熟していくにあたってどのような作用をもたらすのだろうか。

以下は筆者が思いつきでつくった運用型広告・デジタルマーケティング業務の習熟のループを示した図である。(あくまで筆者の頭の中にぼんやりとあるものを図式化したものなので粗が目立つ部分はご容赦ください)

帰納と演繹を行ったり来たり

運用型広告に限らず、多くの仕事や趣味・学問における「習熟」の過程は、上記のようなフローチャートで表現できるのではないかと思っている。

図では便宜上、左側の「帰納」と右側の「演繹」に分けて、それぞれの仮説の成り立ちの違いを表している。

左側の「帰納」とは、多くの事象から一般的な結論を導く推論方法のことで、たとえば様々な木を観察して、それぞれが春になると芽吹くことから「春には木が芽吹く」という一般的な法則を導くような考え方をいう。

一方で演繹は、一般的な前提から特定の結論を論理的に導き出すことを指す。たとえば「すべての木は春に芽吹く」という前提と、「この植物は木である」という事象から、「この植物は春に芽吹く」という結論に至る思考法のことだ。

いずれであっても、事象からの仮説を立てたうえで、最終的に公式や定理に当てはめ(あるいは導き出し)、実践知として一般化していくというプロセスをたどるのが上記の図だ。検証が一度で済むとは限らないので、別の事象を持ち出して検証を繰り返していくことも多い(検証のループ)。

一般化された知は広告アカウントの中の実践知として溜まっていくこともあるだろうし、事業会社や代理店の中でノウハウやナレッジとして溜まっていくものもあるだろう。そして、この積み重ねが資産となっていく。(ドキュメント化すれば有形資産になる)

具体的なケース

たとえば「平均CPCが上昇」、「インプレッション数が減少」、「3月中旬から」という3つの事象があったとする。

これらの事象を帰納的に捉えると、「年度末の広告宣伝費の吐き出しによってオークションプレッシャーが上がったからでは?」という仮説が成り立つ。

事象を集めて推論を出す

この仮説は、知識がない状態ではすぐには出てこないはずだ。

オークション形式のメカニズム(オークションの参加者が増えると約定単価に上昇圧力がかかる)や、広告ランク(広告を表示させるためにはオークションごとに計算される広告ランクのしきい値を超える必要がある)といった定理を知っていることが条件になる。

このほかに、日本の企業は 3月が年度末の企業が多く、広告宣伝費は損金算入が可能であるために年度末にかけて追加予算が出やすいという一般的な事実を知っている必要がある(特に2023年度は過去最高益を出した企業が多いですしね)。

各々の企業が追加予算を出すとオークションプレッシャーが上がり、結果的に表示させるために必要な広告ランクのしきい値も上がっていく。

仮に自社が特に変化していない場合は相対的に広告ランクがライバル企業よりも下回ってしまうため、結果としてインプレッションの機会が減ることになる。

定理や一般化された事実で推論する

こうして、帰納から演繹に移行し、仮説の精度を上げていく。セカンドプライスオークションや広告の品質、広告ランクといった公式・定理の理解や、一般論や実践知の蓄積によって、演繹が可能になってくるのだ。

仮説の精度が上がれば、対処や検証の質も上がり、実践知までの時間が短縮され、習熟のサイクルは速くなっていく。

「ヘルプを読め」は、どの段階に作用するか

この図において、「ヘルプを読め」はどの段階に作用するだろうか。

ヘルプは公式のドキュメントなので、多くの場合、公式や定理が書いてある。なので作用する場所は以下のとおりになる。

ヘルプ=公式のドキュメント

仮説を検証して一般化や実践知に変換していくために必要な材料が「ヘルプ」という公式、だといえる。

ヘルプに象徴されるような基礎的な知識が欠けていると、実践知には変換されずに、ただ「経験した」という事実だけが溜まっていく。業界の経験年数が本人の実力を必ずしも保証しないのは、この仮説検証のループの結果である実践知の差なのかもしれない。

言い換えれば、ヘルプに頼らずともこの検証のループを高速化するようなシミュレーションや OJT ができるような組織であれば、未経験の新人でも比較的早い段階で業務に参加し、成果に貢献できる可能性が高まるということだ。

筆者が顧問をしているアナグラムはそんな組織の一つだと思います【宣伝】

ヘルプは公式や定理をドキュメントに落とした教科書のようなものだ。同じ教科書で学んだクラスメートの将来はみんなそれぞれ違っているのが当たり前だし、教科書から何を学ぶかはその人次第ということなのだろう。

「管理画面を離れよ」の正体

余談だが、「ヘルプを読め」のほかに、「管理画面を離れよ」もよく聞くフレーズだ。特に習熟したベテランから、数字だけで思考することへの戒めとしてこの言葉を聞くことが多い。

これはフローチャートの中でどの位置に作用するのだろうか。

右側の演繹のループは、仮説が溜まってくるとかなり精度の高い実践知として溜まってくる。業界やアカウントが違ったとしても、実践知によって課題の理解や問題解決までの速度は限りなく早めることができる。

一方で、定理から外れる例外的な事象や、実践知に含まれていない新たなトレンドや対象には対応がむずかしい。演繹の力が強すぎると「ハンマーを持つとすべてが釘に見える」状態になりやすく、知らないことを知らないこととして処理しにくくなる。

先ほどの年度末の例でいえば、法制度の更新が発表されて一気に広告文の賞味期限が切れたかもしれないし、競合が仕掛けたトレンドの影響で検索のオークションが変化したのかもしれない。あるいは広告ランク以外の設定要因が絡んでいる可能性もある。(最適化の自動適用とかね…)

事象の幅を広げる

変化は管理画面の外側で起きている。広告のクリックやコンバージョンは一人ひとりの人間の行動の蓄積なので、一人ひとりの気持ちの変化が前提にあるはずだ。スプレッドシートの数字は、単なる数字ではない。

パソコンから離れて世の中を見渡してみれば、結果として受け取れる「事象」の種類は増える。「管理画面を離れよ」は、過度に右側(演繹)に寄ってしまっているプロセスを、左側(帰納)に揺り戻してバランスを取りましょうというアドバイスだ。それはアンラーニングの呼びかけであり、コンピテンシートラップへの注意喚起だともいえる。

(どちらが優位とか正しいとかそういう話ではなく、帰納と演繹のループを回して拡大していく、それこそが習熟のための近道なのだと思います)

「ヘルプを読め」のヘルプ

というわけで、ヘルプの重要性と位置づけについて長々と私見を述べてきた。でも、やっぱり実際にヘルプを読むのは苦しい。だって長いしむずかしいし、何より面倒ですからね。

プラットフォーム側もなるべく瑕疵のないように回りくどく書くし、「B を知るためには A を前提にしている」といった項目はどうしても頻発する。辞書を引くために辞書を引くような、そういう面倒くささがヘルプを読むという行為には付随している。

だから、ヘルプを読むためにはヘルプが必要だ

教科書で自学自習ができるのであれば、学校や教師は不要である。でも学びにおいて教師という役割は必要だし、教室や学校という装置はそのために機能している。

そう考えると、運用型広告やデジタルマーケティングの現場でも、ヘルプを読むための環境というものが必要になってくるといえる。それは切磋琢磨できる同僚だったり、根気強く指導してくれる先輩だったり、社外の仲間だったり、要求の高いクライアントだったりするのだろう。

その環境がやがて実践知の蓄積につながり、個人や組織の競争力につながってくるはずだ。

だからみなさん、ヘルプを読みましょう。