アドワーズとわたし(更新版)

※この記事は2013年に書いた記事をリライトしたものです

アドワーズとの出会い

初めて Google AdWords(現在の Google Ads :以下「アドワーズ」)の存在を知ったのは2002年の秋のこと。その頃、私は勘定系のプログラムばっかり組んでいるうだつの上がらない24歳のシステムエンジニアで、たまたま顧客企業のエンドユーザーが使う画面を設計したことをきっかけに HTML や CSS をかじり、漠然と華やかな気がすると勘違いしてウェブの仕事に移りたいと考えていた時期だった。

当時は「ウェブといえば制作」くらいしか頭になかったため、とりあえずウェブデザインの雑誌をいくつか定期購読しては特集されている内容を週末に片っ端からシャドーイングする、ということを続けていた。今は何でも記事や動画があるが、インターネットに今ほど情報は充実していなかったのである。

そんな中、たまたま目にした「Web Creators」の2002年12月号の特集記事は、それまでの制作テクニック的なものとは違って、ウェブサイトをつくった後のアクセスアップについての特集が組まれており、当時 Google Japan の営業本部長だった佐藤康夫さん(現アタラ会長、フィードフォースグループ社外取締役)が見開きでドーンと写真入りで紹介されていた。まだ渋谷のセルリアンタワーの狭い一角を借りていた頃で、社員も十数名だった頃のはずだ。

P104ですね

その翌年の2003年に直接佐藤さんにお会いしてから現在に至るまで、かれこれ20年になろうかという長いあいだ目を掛けていただくことになるのだが、当時はそんなことは想像できるはずもなく、2002年の時点では「これがビジネスになるのか〜へぇ〜」という印象しかなかったのだった。

記事を見た翌年の2003年3月、あまりのセンスのなさにエンジニアを続けることは諦めて、小さなネットベンチャーというかネット専業広告代理店に思い切って初めての転職。そこで数ヶ月前に記事で読んだアドワーズに関わるようになる。

当時はまだネットバブル崩壊の残滓が色濃く残っていた時期で、「ベンチャー」という言葉に対してやや鼻白む風潮があったのだけど、SIer というか、IT業界の中抜き構造とシステム開発の辛さにとにかく嫌気が差していた当時の私はとにかくインタラクションが起きフィードバックのサイクルが早いウェブという分野に憧れていて、転職する企業も SEM に絞っていたわけではなく「そういえば記事で検索エンジン最適化とか書いてあったな」という程度の認識で、とにかくネットだベンチャーだと浮かれた感じで転職したのだった。そこでアドワーズに出会い、人生が回りはじめるのだから今思えばラッキー以外の何物でもないと思います。

転職した直後は SEO を顧客企業に提案する仕事をメインにしていたものの、他のメンバーのヘルプで Overture の DTC(DirectTraffic Center)と Google のアドワーズの両方を触るようになって、徐々にその魅力に取り憑かれるようになった。ちなみにOverture というのは Yahoo!の検索広告の前身となった会社(システム)のことです。

当時はオーガニックの検索結果の更新が月1回という牧歌的な時代で、僕がウェブの仕事に求めたフィードバックの早さはそこにはなく、むしろ取ったアクションに対してクライアントに説明責任がなかなか果たせないことに失望に近い感情を抱いていた頃だったので、設定したすぐ後には掲載が始まり、3時間もすれば実際の数字として管理画面に反映されるという検索連動型広告のフィードバックの早さに、それまで求めていたウェブらしいスピードと明快さを感じたのだった。

ユーザーの支持

今でも巨人だが、当時は圧倒的ともいえる存在だった Yahoo! Japan が採用する Overture の方が Google に比べて取り扱い高が大きい時代だったものの、調べれば調べるほど、使えば使うほどアドワーズの思想や設計の方が優れているように自分には思えた。

Overture の担当営業は毎週の数字のヨミをただ詰めてくるだけだったが(いい人でしたけど)、Google の担当営業(後に先輩になる方)は、会うたびに新しい機能や目指している世界観を語ってくれた。アドワーズの取り扱い数字にはほとんど触れず、「ユーザーの支持が大事です」と繰り返されていたのが印象に残っている。2週間に一度のミーティングはいつも楽しみだった。

アドワーズの設計が優れていると感じたのはこの「ユーザーの支持」という部分だった。当時、 Overture は上限CPC(クリック単価)だけでランキングが決まる仕組みで、管理画面の DTC は自分が入札しているキーワードの他の広告主の入札単価が見れるという仕組みになっていたので、運用のかなりの部分を入札競争が占めていた時代だった。そんな中で「ユーザーの支持が大事」という言葉はとても新鮮に聞こえた。

実際、ユーザーの支持はアドワーズの仕組みに組み込まれていて、広告掲載可否、順位および課金は「広告ランク」というもので決まっていた。(今でもそう)

そして、広告ランクは以下のような式で成り立っていた。

管理画面では見れないんですけどね

「人は、広告を見て “自分が求めていた情報だ” と思えばクリックする。だからクリック率はユーザーの支持の証明」という理路はとても分かりやすいし合理的に思えた。実際にこの説明を聞いた時の納得感は20年経った今でも記憶している。

ただ、その広告にユーザーの支持が集まったとしても、上位の広告の CPC が低いと儲からないんじゃないかなあと思いつつこの式のメモを取っていた時に、「ああ、そうか」と気付いた瞬間があった。夕方のオフィスで一人稲妻に打たれたように呆然とした。いわゆるアハ体験というやつかもしれない。

その時のメモは、今でも若い人に説明する時にたまに使っている以下の式だ。

言われてみれば当たり前なんですが

広告ランクは因数分解するとインプレッション単価になる。つまり、アドワーズは表示する広告としての価値の高い順にランキングしていくということだった。クリックの費用は Google にとっての収益なので、つまりユーザーの支持=クリック率を順位の決定式に組み込むことは、広告を掲載する検索エンジン自身の収益が最大化する仕組みでもあるのだ。

このことは今ではアドワーズに関わる人なら誰でも知っていることで、常識である。でも、2003年の時点では常識ではなかったと思う。私は初めてこのことに気付いた時、素直に「天才っているんだな」と思った。ユーザーの支持と収益性を無理なく両立させるなんて、なんて美しいビジネスモデルなんだと。その時に走った衝撃が20年近く経った今でも似たような仕事を続けている原点になっている。

フェアなモデル

一方で、疑問もあった。式の構成要素が上限CPCとクリック率の2つだけなので、仮にユーザーの支持が得られなくてもお金さえたくさん払えれば上位表示が可能ではないかというものだ。これにもアドワーズは順位の仕組みと課金の仕組みを分けることで回答を提示していた。

これも因数分解するとかんたん

計算の分母が自分のクリック率で、分子はライバル企業の広告ランク(上限CPC×クリック率)なので、クリック率同士で約分できることになる。単純な算数だが、分母である自分のクリック率が高ければ高いほど、割り算の商である自分の CPC は低くなる。逆に自分のクリック率が低ければ CPC は高くなるということだ。

クリック率が低い、つまりユーザーの支持が低い広告はそもそも相当の上限CPC を積まないと広告が表示されないか、クリックにかかるコストが極端に高くなって広告の費用対効果が見合わなくなる。必然的にキーワードを停止したり上限CPCを下げるなどしてオークションから退場するか、もしくは広告の品質を上げるためキーワードや広告の見直しをせざるをえなくなる。

ユーザーの支持が高い広告であればあるほど廉価に集客できるモデルになっており、かつ出稿側の自浄作用が働くのである。これを知ったとき、「なんてスマートでフェアなモデルなんだ」と鳥肌が立ったのを憶えている。
(ちなみに、広告の掲載順位は広告ランクが高い順に並んでいるので、割り算の商が自分の設定した上限CPCを超えることはない)

この2つの式を知ってから、それまでとは違い私の仕事へのモチベーションは大幅にアップした。自分の仕事にはきっと意味があると感じることができるようになり、Google の社員でも何でもないのに、このフェアなプラットフォームはもっと世の中に広まるべきだと勝手に考えるようになった。結局、最初の出会いから3年半後の2006年に巡り巡って Google の社員になることができ、それからさらに5年後の2011年に Google を辞してからもう10年以上が過ぎたのだが、この時から今まで、このフェアなプラットフォームがもっと世の中に広まるべきだという考えはほとんど変わっていない。(最近はいろいろあるので、おや?と思うことも増えましたけど)

品質、予測の精度、ディスプレイネットワーク

話は少し戻って、2003年にパブリッシャー向けの広告ネットワークとして AdSense(以下アドセンス) が始まって、検索クエリだけでなくコンテンツにもマッチングさせることが可能になった。そのページに記載されている内容(コンテクスト)と、入札された広告をマッチングさせる「コンテンツターゲット」である。Google が発展させてきたウェブサイトのインデックスの仕組みを広告にも応用させたものだ。

ローンチ当初はテキスト広告だけだったが、後にバナー広告、動画広告、ガジェット広告などのフォーマットの充実が図られ、プレースメントターゲットやオーディエンスターゲットなどのターゲティングメソッドの追加につながっていく。

広告ランクの計算式もクリック率から広告の品質に変わり、単純なクリック率(予測クリック率)だけでなく、広告との関連性、リンク先のページの中身、そのクエリでの履歴やデバイス、OSなどといったさまざまなシグナルを考慮するようになった。考えてみれば当たり前で、「ユーザーの支持」が収益の最大化とエコシステムのフェアネスを担保していると考えれば、広告品質とは、その指標自体をブラックボックス化したかったのではなく、予測の精度を限界まで上げるために可能なかぎり使える変数を増やしたかったのだと理解することができる(そして、それを人間が見て判断できるように10段階に揃えたのが品質スコアである)。

クリック率はインプレッションが出た結果なので、すべて過去のことである。その瞬間のクリック率は0%か100%しかない。だからこの場合のクリック率とは「クリックされる可能性としての予測クリック率(pCTR)」のことで、この精度を上げるためにあらゆるシグナルは使われている。

ちなみに、アドセンスがパブリッシャー側の仕組みだとすると、広告主側はGDN(グーグル ディスプレイ ネットワーク)という呼び名になる。GDN は検索よりも考慮しなければならない変数が多い。検索の広告品質は Google プロパティ内での結果に限られるが、ディスプレイ広告では掲載されるサイトやページが無数にあり、広告枠や入札に参加する広告フォーマット、ターゲティングメソッドなど、考慮しなければならない要素が検索とは比べものにならないほど多く存在するからだ。それらの変数を考慮して瞬時に計算し広告を配信することは一朝一夕にはできない。2010年代前半はディスプレイ広告の発展型として DSP が RTB の主役としてもてはやされていたが、Google は自社の構築したネットワークでの RTB で当時から既に10年の歴史を持っていた。

あれから雨後の筍のようにたくさんのプレイヤーやネットワークが生まれ、接続が進み、そして淘汰されていった。当時はメディアフラグメンテーションを危惧し、それぞれの接続と貢献度を可視化する取り組みとしてアトリビューション分析やAPIによる疎結合を積極的に進めていたが、Walled Garden と揶揄されるほど Google は巨大化し、技術への投資と予測の精度がサードパーティのプレイヤーたちとあまりにもかけ離れてしまったため、現在はどんどん統合に向かっている。(だから独禁法のリスクに常に晒されている)

統合によってマシンラーニングの精度はどんどん高まり、10年来の悲願だった平均CPCの上昇にも成功した。心配していた分断は自身からではなく 3rd party cookie の制限や、GDPR や CCPA といった法的な要請として強制的に進んでいるのが皮肉である。

まとめのようなもの

2006年に入社した当時の Google は世界を変えたいと思う人たちの集まりだったが、私自身はそんなことを口に出すのもおこがましい単なる一小市民だったから、入社した最初の1ヶ月くらいは「勢いで入っちゃったものの一体何ができるのか」と途方に暮れていた。渋谷駅からセルリアンタワーに行くまでの道のりは心なしか長かった。

そんな時、Google に入ってから上司(の上司)になった佐藤さんが「一人ひとりが Google のエバンジェリストだから」と言って下さり、私自身は世界を変えていける当事者でもなんでもないけど、少なくともアドワーズで自分自身の世界は変わったことは確かであるわけだから、変わったよと他の人にも伝えることはできるんじゃないかと考えた。そして、アドワーズの営業担当とは、「変わったよ」だけじゃなくて、「変わったからこうした方がいいよ」と伝える仕事だと理解してからは、スムーズに自分の役割を理解できるようになった。

あれからいくつかのスタートアップを経て、上場企業の役員から零細企業の社長(←今)までいろいろと経験させてもらったが、立場は変わっても、役割は変わっていないと考えている。Google が変化の重要な旗振り役の1つであることに変わりはないが、変化は Google 以外でもあらゆるところで同時多発的に、速度を増しながら起き続けているので、「変わった」と発信し続けられるように、「こうした方がいい」と伝えられる何かを持ち続けられるように、ポジティブな変化を起こそうと努力している個人や企業を応援できるように、自分自身も変化しつづけていきたいと思っている。