社会貢献事例:NPO法人 にわとりの会
Case: Niwatoris
活動を伝えるウェブサイトへ
NPO法人にわとりの会
代表理事 丹羽典子 様
「異なる文化・言語をもつ人々が相互に承認しあい共存することが可能である社会」を目指し、外国人児童生徒の学習言語の習得を支援するさまざまな教材やカリキュラムを開発しているNPO法人にわとりの会(以下:にわとりの会)は、2012年のNPO法人化以来、オンライン・オフライン双方の活動を通じて、ダブル・リミテッド(母語・日本語ともに充分に発達していない状態。セミリンガルともいう)を防ぐための啓蒙活動を行っています。
LIFTは、社会貢献活動の一環として、にわとりの会の認知や活動を多くの方にご理解いただくために、法人が発足して以来の大規模なウェブサイトリニューアルのディレクション、およびリニューアル後の運用サポートを行っています。(リニューアルは2018年11月)
丹羽:にわとりの会 代表理事 丹羽典子様
岡田:LIFT合同会社 代表 岡田吉弘
クラスで一番困っている子を助ける
岡田:まずは、にわとりの会について、どういうきっかけで設立されて、どのような活動をされている団体なのか、ご紹介いただけますでしょうか。
丹羽:少し長くなりますが、背景からお話ししますね。
私は大学を卒業してから2017年度末までずっと小学校の教師として過ごしました。学生のときに「世の中というのは広大で、私一人の力では何かを変えることはできないけれど、例えば小学校の教師になってクラスで一番困っている子を一人助けて、その子のこれからの長い人生がポジティブになるようなきっかけが与えられれば、巡り巡って一人の力以上に社会のために役立つのではないか」思ったのが教師になった動機なのですが、実際に教師として愛知県で教鞭をとるようになってからしばらくして、ちょうど1990年に入管法が改正されたあたりから状況が一変しまして、たくさんの外国人の方が労働者として工場等で働くようになったんですね。そしてもちろん、彼らのお子さんたちが地域の小学校に続々と入学してきました。
そうなると、「クラスで一番困っている子」が外国人であることがすごく多くなりました。子どもたちはやわらかい感受性を持っていますから、割合早くに日本に適応して、日本語がまったく分からない状態で入学してきても、学校にいるうちに自然と覚えて卒業していくんです。「先生、中学行っても頑張るよ〜」なんて言って卒業していくんですが、どうも中学の途中から状況がよくなくなっていく子が増えていきます。
その理由は「自分は高校に進学できないんじゃないか」という不安や焦燥感で、だんだん学校やコミュニティから外れていくからなんです。やはりいくら生活に支障がない日本語力があっても、学習言語が伴っていないので公立の高校受験をパスする段階に到達できない、私立高校は経済的に厳しいご家庭が多いからむずかしい、そうすると自分は中学を卒業したら働かなくちゃいけないじゃないかということに気がついて、元気がなくなってくるんですよね。
岡田:母国語じゃないと授業についていくのは難しいですよね。
丹羽:そうですね。やはり生活言語と学習言語の違いは大きくて、中学校の教科書は学習言語で書かれているんですけど、漢字二字熟語、四字熟語が頻発しますし、社会科だと一つのセンテンスに8個も10個も出てくるのが普通ですから、生活言語は1年ぐらいで何とかなったとしても、学習言語を習得するには3年から5年かかると言われていますので、多くの児童生徒が学習の途中で難しい状況に陥ってしまいます。
岡田:日本で生まれて日本語で育った私でも、一度授業でつまずくとなかなかついていくのが難しくなる、という感覚は分かりますので、それがもし馴染みのない外国語だとするとなおさら授業についていくのは難しいだろうなあと思います。
丹羽:本当にそうです。にわとりの会を立ち上げる以前は、担任として「気の毒だな」「外国人特別枠ができるといいな」と思って校長に掛け合ったりしてはいて、その後私の赴任していた地域では外国人特別枠の高校もできたりはしたんですが、今でもまだまだ決定的に足りていないんですよね。
現在の日本語学習の状況
岡田:私が丹羽先生とお話しするようになってから知ったのが、にわとりの会のある愛知県は、日本語指導が必要な児童生徒が全国で最も多い地域だということです。平成28年度で、7,277人と、全都道府県のなかで突出しており、全体の約22%を占めています。
※文部科学省の調査「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成28 年度)」の結果について 」より抜粋(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/06/1386753.htm)
丹羽:グラフにすると、改めてすごいよね。
岡田:これだけみても、日本で働く外国人の方がグッと増えて、そのご子息も地域に学校に入学され、そして教育現場で従事されている先生方の環境も短い時間で急速に変化していく様子が想像できます。それが90年代に一気に起こったということですね。丹羽先生もまさに教師として子どもたちを見ていらっしゃって、大きな根本的課題を感じてらっしゃったと。
丹羽:さらに、1990年代が終わって2000年代に突入して、外国人児童とは別の文脈で日本にも小学校から英語教育をという機運が高まってきました。
現在みたいに教科としてではなく最初は活動として始まったんですけれど、実際には英語の教員免許を持っていない先生が小学校はほとんどですので、その中でどうやって学校全体として英語教育を進めるかという課題に各学校がぶつかります。
そうして、英語教育を推進する係のような人を各学校に一人作らなくてはいけないっていうことで、私の赴任していた小学校では私が担当することになったんですね。担任とその係を兼務するのは大変だろうからということで外国人担当の専任になったんです。以前に「気の毒だな」「何とかならないかな」と思っていたことが、まさに自分の仕事になったんですね。
岡田:それが、にわとりの会を始めるきっかけになったということでしょうか。
丹羽:外国人担当は2年間だったのですが、3年目に入る前に「もうあなたはまた普通の国語の先生に戻るのよ」ということで転勤して別の小学校の2年生の担任に戻りました。その2年の間に気づいたのが、「何年生の子を教えても2年生の漢字でつまずく」ということだったんです。
それで、日本語が母国語じゃない外国の子どもに漢字を教えるのは、これまでとは違う何かが必要なんじゃないかなと思い、それが今もにわとりの会で使っている「音の出る漢字カード」を考えるきっかけになりました。
ダブルリミテッドを、バイリンガルに。
岡田:その漢字カードのプロトタイプができて、試験的に運用されていた頃に、当時私がパートナーを務めていた▶SVP東京 という社会起業家を対象にしたベンチャーキャピタルのような団体の投資協働先募集に、にわとりの会が応募してくださって。確か2012年度の採択だったと思いますが、たまたまそのときの一次選考の担当が私で。
丹羽:ラッキーでしたね(笑)。
岡田:立場上は選考する側なんですけど、最初はオンラインでミーティングして、そのあと愛知県までお伺いしてヒアリングして、何というか、大げさに言えば「蒙を啓かれた」という感じで(笑)。
この図でもありますけど、そのままの状況を放っておくと社会的課題が増えていくところを、ダブルリミテッドがバイリンガルになることで、文化の架け橋になるような人材が育っていくポジティブな循環がつくれるようになるのでは、と。こういった課題と使命を現場の先生ご自身が直面されていらっしゃって、「ああ、もう知っちゃったので見過ごせないや」となりました。
実際にお子さんたちにお会いしたり、エピソードを聞けば聞くほど、子どもはすぐに成長して卒業していっちゃいますから、本当に時間がないんだなと気づかされました。
丹羽:ダブルリミテッド(セミリンガル)というのは、母国語も日本語もうまく使えない状態を指すんですが、でもそれは本当にちょっとしたきっかけで正の循環ができれば、バイリンガル・マルチリンガルになって、素晴らしい将来が描けるはずなんです。本当に紙一重なんですよね。
ホームページのリニューアルで伝えたいこと。
岡田:あれからにわとりの会は様々な努力を重ねられて、今は小学校で習う漢字はすべて「にわとり式漢字カード」でカバーされていらっしゃいます。あとは、アプリやドリルといったフォーマットの拡張や、教えられる方を増やすような啓蒙活動もされていらっしゃる。
最近では地道な活動が徐々に認められてきていて講演やら意見交換会やらでひっぱりだこですし、昨今の外国人にまつわる情勢の変化も相まって、県の内外から注目度が高まっています。
丹羽:そんな中、ホームページが…ということを岡田さんに指摘されて(笑)。
岡田:どんなきっかけでにわとりの会を知るかはさておき、窓口といいますか、最初ににわとりの会の情報を得ようとしたらおそらく団体のウェブサイトになると思います。それがちょっと、何というか「作ったまま」になっていて。
世の中はマルチデバイスと言いますか、スマートフォンで見る方が非常に多くなってきている状況ですので、例えばにわとりの会の存在を知ってくださった方や興味を持ってくださった方が以前のページを見てどう感じるかな、というのが引っかかっていました。やっていることはとても大事なことなのに、これでは伝わらないかも、と。
それで、今回はLIFTの社会貢献の一環、というと押しつけがましいですが、単純な寄付ではなく、アイデアとリソースの提供というかたちで、サイトのリニューアルを担当させていただきました。
丹羽:にわとりの会が言いたいところは大事に継承していただきつつ、本当に見やすくて、親しみやすくなりました!
岡田:そう言っていただけてよかったです。にわとりの会は、情報をお伝えしたい対象が幾つかに分かれていまして、対象は当事者である子どもたちですが、そのためにはその親御さんや教育関係者にこそしっかり伝えていかないといけない。もちろん協力者を募ったりもしたい。対象が多方向に向いているサイトです。
ですので、漢字カードのイラストを多用した親しみやすさと、教育的にも文化的にも重要かつセンシティブなアプローチであるということを両立して伝えていかないといけないという、なかなか絶妙なバランスが求められるリニューアルでした。
丹羽:「ふざけつつまじめにお願いします」みたいなオーダーをしました(笑)。
岡田:デザインと制作はpicnica 佐藤岳彦さんという凄腕のデザイナーさんにお願いしたのですが、そのあたりの意図をうまく汲み取ってくださって、三者の協力のもと、いいものができたのかなと思います。
丹羽:以前はちょっと更新がしにくい構成だったので、いつの間にかFacebookでばかり更新することになってしまったのですが、今回は更新もしやすくなっています。
岡田:ぜひ更新をお願いします(笑)。教育現場でにわとりの会の発信を求めている方は多いと思いますので。
丹羽:ソーシャルだけですとはやりパッと見の印象だけで情報が流れていってしまうので、その背景にある「なぜこういうことをしているのか/する必要があるのか」をきちんと表明できる場ができたのは本当に感謝しています。
今度このエピソードもホームページに載せなきゃなと思っているんですが、6年前、小学校4年生の時にブラジルから日本に来た子が既に高校一年生になりまして、担当して以来ずっと応援し続けている子なんですが、その子がこのあいだ言ってたことを聞いて「ああ、あんな小さかった子がいよいよ大人になっていくんだ」と思ったことがありまして。
岡田:はい。
丹羽:「僕は大学を受験して教育学部に入り、僕を助けてくれたような先生になりたいです」って。
岡田:泣けますね。
丹羽:本当にね。
中学校を卒業するときに「こういう外国人の子がほしかった」って校長先生に言われたらしいんですが、それを聞いて「待ってても出ないのよ! 育てないと!」と改めて思いました。
岡田:ありがとうございます。活動の輪を広げて、少しでも多くの子どもたちの人生がポジティブな方向に向かうように、微力ながらこれからもお手伝いできればと思います。
NPO法人 にわとりの会
https://www.niwatoris.org/